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2010/3/16 火曜日

縄文時代の黒曜石鉱山、鷹山遺跡

Filed under: ジュエリーコラム, 宝飾品の歴史・考古学 — ジェムランドeditor @ 10:16:49

縄文時代の黒曜石鉱山、鷹山遺跡黒曜石とは天然のガラスである。種々の色を呈するが、多くが黒色。

日本では十勝石の別名でも知られているように北海道が有名だが、長野県でも霧ヶ峰、和田峠、そして今回紹介する鷹山での産出が知られている。

鷹山遺跡群(たかやまいせきぐん)は長野県小県郡長和町で昭和30年(1955年)に発見された。その後の調査過程において発見された黒曜石鉱山は平成5年に全国ニュースで採り上げられた事で脚光を浴び、平成13年には国の史跡に指定されている。

鷹山遺跡群は約1万2千年から3千年前(縄文時代後期)に作られたと推定され、黒曜石の採掘址(さいくつし)は75基(平成5年現在)数え、全国最大規模。

鷹山遺跡群が発見されたのが昭和30年であったとしても、当地における黒曜石(例え黒曜石の名を知らなかったとしても)の存在は、地元民には古くから知られていたようだ。その証拠とも言えるのが黒曜石鉱山があった場所の地名。これを星糞峠(ほしくそとうげ)という。

星糞峠の語源に関する記録は見つかっていないが、常識的に考えれば、地面のあちらこちらに落ちていた黒曜石の破片の割れ口が光を浴びれてキラキラと光る様子が星の糞を想像させたからだろう。

実際私が当地を訪ねた時も、脇道で未舗装の路面を5分ほど観察したところ、ふたつの黒曜石の破片を見つけることができた。

現地には「星くずの里 黒耀石体験ミュージアム」(語感を気にしたと思われるが“星糞の里”ではなかった)があって黒曜石などを使ったアクセサリー作りを体験できる他、各時代別に整理された黒曜石の石器(矢尻など)の展示や黒曜石を斧に加工する方法を見ることができる。これらの写真はこちらに公開

鷹山は白樺湖から車で30分ほど。近隣を観光する機会のある宝石・鉱物愛好家諸氏は鷹山まで少々足を伸ばしてはいかがだろう。

福本

2010/2/23 火曜日

ジュエリーの歴史6000年 [第2回]メソポタミア文明

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ジュエリーの歴史6000年 [第2回]

メソポタミア文明

現在古代文明と呼ばれるものにはメソポタミア文明、エジプト文明、黄河文明、インダス文明の4大文明が一般的ですが、エーゲ文明、ケルト文明、長江文明、四川文明、メソアメリカ文明、古代アンデス文明などを加える学者もいます。私は素人ですが人類の進化をみていると、地球上のあちこちで4大文明以外にも文明が発生したとみる方が妥当のような気がします。

クロマニヨン人を祖先に持つ新人は、5万年前頃にアフリカを起点として世界各地に散らばり、紀元前4000〜3000年頃に複数の地域で高度な文明を築きます。今後科学の発達と遺跡の発掘が進むと、私たちの祖先についてはもっといろいろなことが解ってくるかも知れませんが、どの文明も共通して云える事は、兎も角肥沃な土地と豊富な水を源泉として文明が生まれているということです。

またメソポタミア、エジプト、小アジア(現在のトルコ)を包括する地域をオリエントと云いますが、メソポタミア文明は現在のイラクを流れるチグリス、ユーフラテス川に挟まれた肥沃な土地に発生した世界最古の文明です。メソポタミアという名前は二つの大河にはさまれた土地を意味する古代ギリシア語からきています。この二つの河の河口付近ウルやウルクなどの都市にシュメール文明が生まれました。今から1万年前になると、この地に住む先住民たちによって、羊や山羊などの飼育が始められたようです。文明が起きるには、この農耕牧畜生活と村から都市が生まれることがとても重要です。
20100223.jpgその後この地にシュメール人がやってきます。シュメール人は紀元前2700年頃までに、麦からパンやビールを作りまた冶金青銅器を使い金、銀の細工モノなどを作っています。もともとメソポタミアでは鉱物、木材、宝石、金などは取れませんでしたから、農耕牧畜による余剰品と交換にこれらの天然資源を輸入する交易が盛んになってきます。

メソポタミは河口付近から奥に広がり、小アジアからシリア辺までの広大な地域をカバーしています。川を奥に遡るとアッカド王国、古代バビロニア王国、ミタンニ王国、ヒッタイト王国、アッシリア王国などが時代と共に乱立し、アッシリアのサルゴン2世がエジプトを含む全オリエントを統一する前8世紀まで、様々な民族国家が興亡を繰り返していきました。

古代文明の発生には、農耕牧畜と定住生活(都市化)の他に、大きな川とそれに挟まれた肥沃な三角州が必要です。インダス文明、黄河文明、エジプト文明、メソポタミア文明、みな豊かな川と肥沃な大地があったればこそです。そしてもう一つの要因は私たち人間がどんな時代でも富と権力の象徴として憧れる「金」があります。川があればそこに流れてくる砂金が目に留まらない訳がありません。人々は川の底にキラキラと輝く金に目をつけ、さまざまな加工を施し権力の象徴として、或は身を飾るものとして活用することを覚えました。

ジュエリーの歴史を紐解けば、そして古代に遡れば上るほど、眩いばかりの金の装身具や工芸品が登場してきます。しかし金は古代文明の時代から私たち人類と密接な関係にあったにも関わらず、歴史学の上ではそれほど重要視されていないのはどうした訳でしょう。青銅器時代とか鉄器時代とともに、金についても歴史学上でもっと扱い方はあるのではないでしょうか。

人類がいままでに手にした金の量は一体どのくらいあったでしょう。専門家によってまちまちですが大体13〜15万トン、オリンピックプール3杯分強といったところでしょうか。今後現在の技術や採算を考えた時に、地球でとれる埋蔵量はわずかに6、7万トンといわれています。それほど貴重な金は、何千年という悠久の時を経て私たちを魅了し続けてきたのです。

メソポタミアにおける金細工の特徴はレポゼ技法(金属の板を裏から打出す)やチェイシング技法(金属の板を鏨やポンチなどで表から線刻模様などを打ち込む)です。写真はウルから出土された金の兜です。現在イラク博物館に収蔵されているこの兜はメス・カラム・ドゥグ王の黄金の兜といわれ、1920年代から30年代にかけてイギリスの考古学者であるサー・チャールズ・レナード・ウーリー卿が発掘しました。この冠は最近になって祭礼や儀式の際に用いる金製の鬘であるらしい事が判った)、1枚の金の板を裏と表から打出して作られています。接合部分が全くなく作られており、今から2600年前後の頃に作られたことを考えれば見事の一言です。ウーリーの『カルデアのウル』には、発掘のときの感動が以下のように記されています・・・骨は朽ち果てていたので、骸骨の薄気味悪さはまったくなく、ただ砕けた褐色の細片が数条筋を引くように残り、死者の姿勢を伺わせていたが、何よりも目を惹くのは黄金であり、まるで墓に入れられた時のように美しかった。朽ちた頭骸骨の断片をまだ覆っているその兜に視線はほとんど釘付けになった。兜は金の打出し細工で、頭から深く被るように作られ、頬当てがついていた。この兜はカツラのような形をしており、髪の巻き毛は打ち出しで浮き彫りにされ、髪の毛1本1本が繊細に毛彫りされている。中央で分けられた髪は、平たくうねった巻き毛をなして頭部をぴったりと覆い、捩った1本の髪紐でぐるりと縛ってある。髪の後方は束ねて小さな髷に結ってあり、髪紐の下ではきちんとした巻き毛が列をなして耳の周りに垂れ下がり、耳は高浮き彫りで表わされ、音を聞く妨げにならぬよう穴が開いている。頬当ての部の同じような巻き毛は頬髯を表わしている。兜の縁に沿って紐を通す小さな穴があるが、この紐は内側で詰め物を入れたキャップを固定させていたもので、キャップの痕跡もまだいくらか残っていた。金細工の作品の実例として、この兜は我々が墓地で発見したもののうち最も美しく、金の短剣や牡牛の頭部よりも見事なものである。もし古代シュメール人の芸術を判断しうる材料が他に全くないとしても、ただこの兜だけをもってしても、我々はやはりシュメール人が古代文明民族の中でも高度な文明を誇っていたと考えるべきだろう・・・と。

この発掘を通して見えてきた事は、メソポタミアの王たちは金細工師たちを雇い、レポゼやチェイシングなどの技術を使って、メス・カラム・ドゥグ王の黄金の兜の他にシェプ・アド女王の冠やロンドンの大英博物館に収蔵されている工芸品「木をかじる山羊(これは頭部と胸部には琥珀金[エレクトラム]、腹部には銀箔が施されている、何とも奇妙な像で、一説には楽器と云われている)」など高度なレベルのものが造られたという事です。

この時代から金細工師たちは王の近くにいて、王の気に入るように、様々な金の加工をしていたようで、かなりの地位があったと思われます。

またシュメールから出土されるシェプ・アドのヘッド飾りやネックレスなどにはカーネリアンやサードオニックス、ラピスラズリ、トルコ石などの色石が使われていますが、これらの石はイラクでは産出しません。お隣のイランやアフガニスタンなどから運ばれてきました。これはエジプト文明においても同じで、古代から現代に至るまで、交易を上手にやる国が栄えました。自国だけでやろうとすれば限界があり、発展はありません。それよりも他国から侵略を受ける可能性も大きいのです。スケールは違いすぎますが、なにやら現在の日本の宝飾品市場にも同じ事が云えるようです。
増渕邦治(ますぶち くにはる)

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2010/1/26 火曜日

ジュエリーの歴史6000年 [第1回]

Understanding Jewellery
ジュエリーの歴史6000年 [第1回]

ジュエリーの起源

ジュエリーの起源を考える前に、人類の進化についてみてみましょう。ヒトとサルの決定的な違いは「2本の足で歩ける=直立歩行」でしょう。440万年前にアウストラルピテクス(猿人)がサルから枝分かれしてヒトとしての道を歩み始めます。アウストラルピテクスの仲間にアファール猿人がありますが、1974年にエチオピア北部で発見された、アファール猿人のほぼ完全な標本は「ルーシー」という愛称がついています。キャンプ地で研究者が聴いたビートルズの名曲「ルーシー・イン・ザ・スカイ・ウイズ・ダイヤモンド」に由来するそうです。

accessory02.jpgその後50万年前くらいになるとホモ・エレクトゥスという原人が現れます。ピテカントロプスという名で有名なジャワ原人や北京原人などがそうです。彼らの中でも北京原人は火を使う事を覚えます。そして20万年前くらいになると、旧人のネアンデルタール人、ザンビアのローデシア人、ジャワのソロ人が出現します。彼らは死者の埋葬を始めたり、呪術を行うようになります。ネアンデルタール人と次の世代の新人であるクロマニヨン人は、同じ時代に生きていたようですが、やがてネアンデルタール人は何らかの理由で滅びてしまいます。

どうも私たちの祖先はクロマニヨン人であるらしいのですが、人類の起源については他地域連続進化説とアフリカ単一起源説があります。どちらも起源はアフリカなのですが、前者はアフリカで誕生しユーラシア大陸に分散して原人に進化、さらに同時発生的に新人になったというもの。後者はアフリカで旧人に進化してユーラシア大陸に分散していった。これは今から20年前に遺伝子のルーツを母系で遡る研究で明らかになったのです。二人の人間のミトコンドリアDNAの差を調べると、いま生きている人類はすべて15-20万年前にアフリカにいた一人の女性、ミトコンドリア・イブの子孫になるというのです。

2003年にエチオピアのヘルト村近くで発見された化石から16万年前のものと確認され、オモ・キビシュから出土したホモ・サピエンスの化石の年代測定で解剖学的に見た現世人類の起源は19万5000年前まで遡れる事が解ってきました。そして現世人が理解、認識、意思伝達の能力を持つようになったかについては、「創造の爆発」といわれる4、5万年前とされています。フランスのショベ洞窟の絵画は炭素14法という年代測定法で3万2000年前のものと確認されており、ラスコーの南西約30kmにあるキュサック洞窟の線刻絵画は3万5000年前まで遡れると云います。

accessory01.jpgところが2005年に、南アフリカのケープタウンから約240kmのところにあるブロンボス洞窟で7万5000年前の地層から発見された複数の巻貝は、貝の口とは反対側に小さな孔が開けられており、ビーズ飾りのネックレスではないかと云われています(写真右。人類最古のアクセサリーと云われる貝製のビーズ。装身行為の起源を3万年もさかのぼらせた重要な発見)。また同じ洞窟で、骨器で模様が掘られたオーカー(ベンガラとも呼ばれ、酸化鉄が主成分の赤鉄鉱)が発見されています(写真左。“人類最古の模様”が刻まれたオーカー。シンボルを使った創造的活動がはじまった最古の証拠。)。これは肌を赤く化粧する時などに使ったと考えられ、いわゆるお洒落をする装身行為とみる事ができるのです。このような行為は偶然にできたのではなく、精神的な意志が伴うもので、やがてメソポタミアやエジプトなどの高度な文明の発達に繋がってくるのです。

stone.jpgこの装身行為をジュエリーの起源といってよいかも知れません。そして6、7千年前頃からメソポタミアやエジプトをはじめとする古代文明が生まれますが、この時代になるとジュエリーはかなりはっきりした形となってくるのです。

ジュエリーの起源については護符説や、ホモルーデンス説、自己異化説、自己同化説などいくつかありますが、護符説というのはお守り、外敵から自分を守ってくれるモノといえます。人間とは元来弱いものです。人間よりも強いモノを身につける事によってパワーが体の中に蓄積されエネルギーとして発揮されるといわれています。ホモルーデンス説は、人間は本来遊んだり楽しんだりする生き物ですが、そのためには鳥の羽など美しいもので飾り立てようとします。あるいはセックスアピールで自分に注意を向けようとします。人間が本来持ち合わせている根源的な行為といったら良いかも知れません。自己異化説は、人間はとかく他人と違っていたいという傾向があります。装身具を身につける或は入れ墨等をして自分との差別化を図るなど、他人と同じになる事を避ける、個性的という事もこの範疇に入るでしょう。自己同化説は、これとは反対に一種の帰属意識といえます。集団で生活する場合、同じものを身につける事により、団結心が強まり大きなパワーが生まれます。

1stfigure.gif私はこれらが複合的に作用してジュエリーが生まれてきたと考えています。私たちの祖先は精神的な意志を持つ事ができたのです。その意志によって生活や自分自身を飾るものなどの道具や行為が発達してきました。現在も私たちはこのような原始的ともいえる行為を大事にして生活しています。それは古い、稚拙と云うものではなく、人間が本来持っている根源的なものであるはずです。ジュエリーをつける行為は、しごく自然な行為であるといえるでしょう。

増渕邦治(ますぶち くにはる)

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2009/11/10 火曜日

ジュエリー・ビジネス・トレーニング[初級講座]第4回:マーケティング概論(4)

Filed under: ジュエリーコラム, ジュエリー・ビジネス・トレーニング — ジェムランドeditor @ 10:55:37

商品[product]戦略(2)

前回に引き続き商品戦略の話をします

(3)ニーズとシーズとウォンツ

私たちが良く耳にする言葉は“個客のニーズをつかまえろ”とか“個客ニーズを知れ”などですが、ニーズという言葉の裏にはシーズとウォンツが隠されている事を知るべきでしょう。商品開発ではニーズとシーズとウォンツという3つの要素が上手く連動していかなければなりません。図にもあるようにニーズとは必要性の事であり、個客に欲しいと思わせる仕掛けづくりの事です。そしてシーズとは種まきの事で、ジュエリー様々な情報を個客に発信する事です。またウォンツとは個客の潜在的な欲求を提案するジュエリーに反映させる事なのです。
個客の欲しいものをつくれというのは、あくまでも潜在的な欲求を知り、その上でどのようなジュエリーをつくるかポイントになってくる訳です。具体的なジュエリーを知ろうとしても、いつまでたっても個客は教えてくれません。抽象的ですが、匂いを嗅ぎ分けたり色を見つけたりしながら、どのようなジュエリーを作り出すかということができなければならないのです。ジュエリーをつくる主体はあくまでも制作者側にあるのです。
売上至上主義の現在、理屈は理解していてもなかなか思うように運ばないのは、「売れる商品」「売りやすい商品」に目が向きすぎているからです。商談の場というものは、商品を売るのではなく個客が何を欲しているのかを探る場でもあります。恐らく個客はあなたの話す事に耳を貸してくれるでしょう。うなずきながら、微笑みながら聞いていると思います。でもそれでは不十分なのです。クロージングの前にやらなければならない事、それは個客の話を十分に引き出す事です。年配の個客になればなるほど、自分の事を話したがっています。たとえそれが愚痴になってしまっても聞いて上げましょう。嫁の話や孫の話などから、もしかしたら販売のチャンスが広がるかも知れません。また広げなければなりません。個客の話を聞くという事は、実は宝の山と話をしているのだと考えて下さい。
ニーズとシーズとウォンツの関係は、お互いが連携し相乗効果を生んでいきます。個客に一番適切な商品を提案できる事、これこそがマーケティングの第一歩なのです。

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(4)PBとOEM

メーカー(作り手)と卸・小売店を繋ぐ商品開発にPB(プライベートブランド)とOEM(オーイーエム[相手先ブランド])があります。プライベートブランドは多店舗展開をしている小売店や問屋がメーカーと手を組み、独自のブランド商品を作り展開するもので、宝飾品業界にとっては、これから本格的に取り組むべきものの一つといえます。完成品を仕入れるのではなくオリジナルを開発する事によって、その店の独自性を打出す事に繋がるからです。メーカーが作り出す量販商品は、宣伝もするし認知度もありますが、オリジナリティにかけるという欠点があります。独自のSHOPブランドを打出すためには、何処にでもある、例えばスリーストーンのような商品では力不足になる訳です。少ない量でも商品開発が可能になる方法がポイントになってきますが、これは作り手と売り手の知恵の出し合いです。

OEMは作り手のノウハウを利用して売り手のブランドで商品展開するものですが、この方法の欠点は、ややもすると作り手側のノウハウを利用されてしまい、作り手側にとって満足感が少ないということでしょう。反対に納品すれば売上が立てられるので、開発費が無駄にならないというメリットもありますが、現実には企画が失敗した時に、そのしわ寄せが作り手側に来る事もあるので、慎重な対応が求められます。大事な事は作り手も売り手も共に満足できる商品開発であることです。

増渕邦治(ますぶち くにはる)

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2009/11/5 木曜日

宝飾業界に於けるITの活用について25-インターネット利用状況2009

Filed under: ジュエリーコラム — ジェムランドeditor @ 10:05:57

先頃発表された平成21年版情報通信白書(総務省による)から、宝飾業界に関連する最新のIT統計などを紹介したい。御社業務に役立つIT事情を俯瞰する一助となれば幸いである。

br_point.gif ITの活用で成長する潜在性あり

今回の白書で力説されているのは、経済再生における情報通信の重要性だ。「情報通信と経済性成長は統計的に相関が高い」とし、「日本復活になぜ情報通信が必要なのか」を検証している。この中では情報化投資を飛躍的に高める事で事業者間や消費者の「協働」を促し、信頼できる「電縁」社会を構築することが日本復活に必要であるとしている。

「電縁」という耳慣れない言葉は地縁・血縁という人間関係にネットを通じた“縁”を加えた、ネットと現実(対面)がバランス良く重なる社会を示している。確固とした電縁社会はネットが社会に溶け込む安心な社会を作るとしている。

「ネットが社会に溶け込む安心な社会」という概念が重要視されているのは、社会に於けるネットのあり方が、今後一層密接になることが想定されている事を意味する。事業者は将来の社会像を想定し、それに事業を適合させなければ存続が危ぶまれる事例が数多いことは、多くの名門企業が時代の流れに取り残されて姿を消した歴史が実証している。ネットと密接につながった社会における自社ビジネスの在りようを考察し、対策を講じることは経営者の責務だろう。あらゆるビジネスとは社会と共にある。社会が変わる以上、対応を必要としないビジネスなどありはしない。

br_point.gif 不況下に育つイエナカ需要

不況による売上減少や給与抑制を受けた消費者は、消費の抑制に走る。すなわち国内外への遠出を控え、通信販売といった自宅にいながらにして利用できるサービスに対する消費(いわゆる“イエナカ”消費)の増大が見込まれる。

ジュエリー産業に於けるイエナカ需要の増大の意味は、ネットを介した製品小売りの重要性増大を意味しているといえよう。

「ネットでジュエリーを売ってみたが、ほとんど売れない」という声は良く耳にする。しかしながら一方では、卸売りからネットを利用した小売りへと軸足を移して成功した裸石輸入会社をはじめ、ネット販売の売上が売上構成上年々増し、売上の重要な柱として成長させている企業、またネットを通じて起業をして成功を収めているジュエリーデザイナーが数多くいることも事実だ。

ネットで売れない会社と売れる会社。成功の秘訣を考えるには、消費者がネットで商品を購入する理由に着目しなくてはならない。

br_point.gif 消費者がネットで商品を購入する理由

 インターネット上での商品購入経験

図1はインターネット利用者を対象としたネット上での商品購入経験。インターネット利用者のおよそ半分が経験をもち、平成20年末で前年対比で微増している。

インターネットで商品を購入する理由

図2はネットで商品を購入する理由を示している。購入理由として多いのは「店舗の営業時間を気にせず買い物できるから」(55.9%)、「店舗までの移動時間・交通費がかからないから」(50.1%)、「様々な商品を比較しやすいから」(49.3%)、「一般の商店ではあまり扱われない商品でも購入できるから」(47.0%)、「価格を比較できるから」(45.0%)。

「価格を比較できるから」、つまり安く買いたいというニーズを持つ顧客層にターゲットを合わせることは薄利を意味し、読者諸氏の求めるところではないだろう。ただし、無在庫での販売が可能な場合は低価格追求戦略も意味を持つ。

注目したいのは「一般の商店ではあまり扱われない商品でも購入できるから」をネットでの購入理由にしている利用者が半数近くを占める点だ。個性的な製品を求める消費者ニーズが浮かび上がる。商品開発力のあるジュエラーや職人、デザイナーは、ユニークなジュエリーを提供することでインターネット利用者の半数近くに興味をもってもらい得るのである。もちろん個性的で魅力的な製品開発の重要性はネット上に限ったことではなく実店舗でのリアル・ビジネスにおいても同様であるが、ネット上ではCGM(Consumer Generated Media)とも呼ぶ口コミ(ブログ、掲示板、ソーシャルネットワーキングシステムなど)を製品プロモーションに組み込むことで、店頭に並べることと比較して遙かに多くの見込み客に訴求することができるという特徴がある。

br_point.gif 日本人は「安全」が「安心」につながらない

「電縁」社会を浸透させるパソコンを使用している際の安心感が伴わなければならない。不安が有れば個人情報をネット経由で伝達することができず、電子商取引が成り立たなくなる。

パソコンに侵入された経験率

図3を見ると、日本人はパソコンに侵入された経験率が最も低いにも関わらず、個人情報の安全性には最も不安を感じていることが分かる。情報通信分野に於いて、日本人は「安全」が「安心」につながっていないのである。電子商取引をはじめとするウェブサイトの運営に際してはこの点を考慮し、クレジットカード情報といった安全性への配慮がクリティカルに重要な情報以外でもSSL(暗号化通信)を介するなどの工夫が求められていると読むことができる。

個人のインターネット利用端末の種類

利用端末別のインターネット利用目的

出典
平成21年版情報通信白書(総務省)
平成20年通信利用動向調査(総務省)
Norton Online Living Report 2009(Symantec)

本稿はジェモロジスト ニュース(発行GIA JAPAN)66号に出稿した弊社原稿を同校了解の元転載した。

2009/11/3 火曜日

スリランカ宝石便り その26 〜第101回英国宝石学協会・宝石学会〜

Filed under: スリランカからの宝石便り — shinko @ 17:19:37

今年10月18日、英国宝石学協会の宝石学会がロンドンのヒルトンホテル・サウスケンジントンで開催されました。昨年は100周年ということで二日間行われましたが、今年は例年通り一日のみの開催でした。今年のテーマは「Showing Colour〜色を見せる〜」ということで、色石について9人のスピーカーの方々が様々な角度から色の魅力や鑑別方法などについて話をしました。

英国宝石学協会・第101回宝石学会 

 

 

スピーカーの一人、アントワネット・マトリンズ女史(Ms.Antoinette Matlins)は宝石を購入する時のポイントをわかりやすく書いた本を出版されています。今回はカラーチェルシーフィルターを活用した色石の区別の方法について話をされました。また、カール・シュメツアー博士(Dr.Karl Schmetzer)によるカラーチェンジ・ガーネットの色の原因について、トーマス・ハインシュワン氏(Mr.Thomas Hainschwang)のカラー・ダイアモンドの光学的に見た特徴の話などがあり、図や写真を多く用いた説明でわかりやすく解説されていました。

 

 

一番興味深かったのは、ルビー、サファイア、エメラルドなど高級宝石の色のグレードや輝き、内包物の在り方によってどのように値段が変わっていくのかといったことをパソコンで検索して調べることができるといった話です。色石はダイアモンドのようにはっきりとグレード分けして、値段を表示することが難しい宝石です。

 

私はサファイアを扱っていますが、色や輝き、内包物の在り方で個人的に区別することはありますが、微妙な光の違いで色の表情が変化する色石(高級宝石だけでなく、ガーネットやスピネルなども)の場合、グレードに選別しきれない場合が現実的に多いです。また無処理のサファイア場合、内包物の美しさも価値あるものと考えますし、多数の人が美しいと感じるものや加熱などの処理の有無、希少性のある色味などで価値が決まるものだと思います。(これは個人的な見解です。)

 

実際には、市場に多く出ている加熱処理されたサファイア、ルビーでカリブレイト(大きさ、形を揃えて販売されているもの)は、色の選別をしっかり行うことが業者にとっては不可欠でしょう。

 

今年も様々な国のFGAの人とお会いし、鑑別する知識と経験をさらに深めて行かなければならないと感じました。

宝石学会のエピソードなどはブログに書いておりますので、せひ見てください。

スリランカ宝石留学物語 http://plaza.rakuten.co.jp/gemgasuki/

片山新子FGA

2009/10/25 日曜日

軽井沢と“石”

Filed under: ジュエリーコラム — ジェムランドeditor @ 16:56:52

軽石夏の終わりの軽井沢で、エコツアーを行うピッキオ(picchio)主催のネイチャーウォッチングに参加した。当地にある野鳥の森を、ガイドさんの説明に耳を傾けながら歩くという2時間のツアーだった。

星野温泉に隣接しているこの野鳥の森は、国設の野鳥の森として第一号だそうだ。

案内してくれたのはエコツアーのガイドに相応しい元気ハツラツとした地元出身の女性。野鳥のみならず、草木や花、小動物のことなど、実によく知っていた。

このガイドさんに教えてもらったのが表題の『軽井沢と“石”』に関する話。軽井沢という地名は“軽石のある沢”が語源なのだという。

なるほど、そういう目で地面に目を落とすと、そこら中に軽石がある。野鳥の森では、2メートルも掘れば軽石の層にあたるという。もちろん浅間山の噴火の影響である。

せっかくの機会なので軽石について記す。

浮石とも呼ぶ軽石だが、“軽石”という鉱物が在る訳ではない。鉱物と定義するためには、一定の組成(成分)である必要があるが、軽石の組成一様ではない。その定義を辞書的に書けば「多孔質で比重が低く、色が淡い火山砕屑物(かざんさいせつぶつ)」となる。平たくいえば「火山噴火によって流れ出たり、飛んできたマグマが冷えて固まったりしてできることが多い、たくさんの孔がある軽い石」となる。

関連: 軽井沢にあるロードナイトで出来た風呂のある温泉

写真上が野鳥の森のありふれた地面。軽石がそこかしこにある。写真下も野鳥の森。花の背景になっている小川の河床にも多くの軽石を見ることができる。

2009/7/22 水曜日

鉱物好きには気になる地名 - 石巻

Filed under: ジュエリーコラム — 福本 @ 11:33:14

巻石宮城県石巻市。鉱物好きにとっては気になる地名であり、私もその一人。

「激しい褶曲(しゅうきょく※)によって、まさか海苔巻きの断面のような地層が露出しているのだろうか?」

などと勝手な想像を長年ふくらませていた。

先頃当地を訪ねる機会があったので調べてみた。

語源は諸説あるが、巻石が起源という説が江戸時代には広く知られていたと、石巻市住吉町1丁目の大島神社にある石碑(石巻市教育委員会)に刻まれている。

では巻石とはなにか?真偽のほどは定かではないが、巻石とされる石が前述の石碑に並んで置かれている(写真右)。

巻石が最初に記述された書物は、天和2年(1682年)に刊行された大淀三千風著「松島眺望集」。書中、次のような記述がある(前述の石碑)。

「石巻 川中に大きなる岩あり、このかげ浪巴(なみともえ)をなせり、この故にこの名あり」

つまり、 「川に大きな岩があり、この為に水が渦を巻いていたことから石巻と命名した」

と読める。

その他、安永二年(1773年)の「石巻村風土記御用書出」には

「当村端郷住吉町住吉大明神社地わきに、石巻石、石巻渕御座候に付き、その縁をもって村名に唱え申し候」とある。

2009/7/7 火曜日

“ダイアモンドの川” という名前の島

Filed under: ジュエリーコラム — 福本 @ 11:59:36

2009年5月27日にタイ・チェンマイ動物園で生まれたパンダの赤ちゃん(パンダ研究所)※。先頃一般公開が始まり、その愛らしい写真が多く報道されるようになった。可愛らしい姿を見ていて思いだしたのが20年程前の話だ。

当時カリフォルニアに留学していた私は、インドネシアからの国費留学生達と交流があった。原油産出国からの留学生だけあって多くは環境問題を学んでいた。水俣病についていくつかの質問を受けたけれど、ろくに答えられずに自らの不勉強を恥じた事を覚えている。

彼らの大多数はお国柄イスラム教徒だったけれど一部にはキリスト教徒もいて、国費を使っての留学生選抜に宗教による差別がないのだと感心した記憶がある。

インドネシアの地図留学生のひとり、グナルティという女性によると、インドネシアで大学教育を受ける者は地域教育に貢献することが求められているとの事であった。彼女の場合、人口1000万人にも及ぼうという大都会、首都ジャカルタの裁判官の娘として生まれ育ったが、地域教育の貢献先として派遣されたのは、送電線も通っていないカリマンタン島(英語ではボルネオ島)の奥地。現地の子供達に読み書きを教えるという活動で、子供達にはとてもなつかれたそうだ。村を去る日、子供達からはプレゼントだといって段ボールを渡されたという。中には、大きな子猫、と思いきや虎の赤ちゃんが入っていたそうだ。

宝石学に絡めていえば、カリマンタンとは『ダイアモンドの河』の意味がある。 インドに次いでダイアモンドの産出が確認されたこの島は、特にファンシーカラーダイアモンドで知られ、アーガイル鉱山可動前に確認されたピンクやパープル ダイアモンドの多くはこの島で採れた石だ。

グリーンランド、ニューギニアに次いで世界で3番目に大きな島の名前が『ダイアモンドの河』を意味するとは、この島でのダイアモンド採掘の最盛期、いかに多くの人が漂砂鉱床での採掘に従事していたのかを考えると楽しい(もっとも過酷な採掘作業を強いられた子供達の話もあり、こちらの話は無論楽しくなどないが)。

※:タイ・チェンマイ動物園で生まれたパンダの赤ちゃん
パンダ研究所のブログに掲載されているパンダの赤ちゃん
チェンマイ動物園・パンダ舎のライブカメラ

2009/6/30 火曜日

スリランカ宝石便り その25 〜スリランカ宝石採掘の状況(その2)〜

Filed under: スリランカからの宝石便り — shinko @ 0:48:20

6月21日のスリランカの新聞、「サンデー・タイムズ」に宝石鉱山の現状が大きく取り上げられていました。世界遺産にも登録されている仏歯寺のある古都キャンデイから北へ行った所にあるマータレという採掘現場の鉱山主の声です。この地域は良質なガーネットが採掘される場所としても有名なのですが、世界的な不況で原石の価格が低迷し、マータレ地域一帯に2千も存在した採掘現場は今では10しかないということです。これはマータレに限ったことではなく、不況の中で採掘量が需要以上に増えれば価値と価格は下がってしまいます。その為に採掘を差し控える鉱山主も多いですし、価格を下げてまで販売しない業者もいます。良質な宝石は景気が回復されれば必ずニーズがあるからでしょう。

 怒りの矛先はスリランカの政府機関「National Gem and Jewellery Authority」にも向けられています。税金の値上げ、不可解な規則や汚職。宝石の採掘や宝石を売買するディーラーはライセンスを取得しなければなりません。過去にそのライセンスを安易に発行した為に取得者が増えたことへの不満もあります。昨年の宝石ディーラーのライセンス取得者は4794人、鉱山の採掘は4204人、研摩業者は194人でした。今年はこの取得条件を厳しくして数を減らす動きが出ています。

また、これまでの大手輸出相手国であった「米国、香港、日本」ではなく、新たに「インド、中国、ロシア」へと市場の軸が動いています。スリランカの業者と話をすると、日本のバブルの頃をなつかしんでいたり、「紳士的な交渉のできる日本人」が一番ビジネスし易いと言います。あるディーラーからインドに輸出される前の宝石を見せてもらいましたが、コロンボの宝石店では見ることのない、色の美しいブルーサファイアが多くありました。サイズも値段もマハラジャ級でしたが・・・。

 

片山新子(かたやま しんこ)、FGA

 個人の楽天ブログ「スリランカ宝石留学物語」http://plaza.rakuten.co.jp/gemgasuki

 

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