ジュエリーブログ,ニュース / ジェムランド

2010/6/29 火曜日

インド・ハイダラバードのジュエリーショーに出展 - JJP

Filed under: ジュエリー イベント, 海外ジュエリー事情 — ジェムランドeditor @ 16:26:32

6月18〜20日、ジャパン・プレミアム・プロジェクトはインド・ハイダラバードのジュエリーショーに出展致しました。

今回参加したのは、ジャパン・プレミアム・プロジェクトのくろおか京子、簑和田元・幸恵、高橋まき子の3氏。展示会場の規模はJJFとKJFの中間ぐらいでしたが、ムンバイ、バンガロール、チェンナイなどの南インドの都市から大勢の人が来ました。インド人の「ジャパン」に対する関心は高く、テレビ、新聞の取材が5、6社きてインド南部の新聞に掲載された記事を目当てに、最終日ブースを訪れた一般人は多かったようです。

インフラの整備は遅れているもののインド経済に支えられて、インドの女性のお洒落感覚は目を見張るものがあります。インドのファッションは、主に若い女性はパンジャビスーツ、結婚した女性はサリーを着ることが多いのですが、一人として同じものは着ておらず、しかも彩りが豊かです。間近で彼女たちの衣装を見ているとインドの女性は世界一お洒落な民族ではないかと思いました。このような衣装には金が似合うという偏見は、この際捨てた方が良いと思います。それはサリーやパンジャビスーツをお洒落に着こなしている女性(恐らくお金持ちだと思われる)は、金製品ではなくダイヤモンドやブランドの時計を着けこなしていることからもわかります。更にはヨーロッパ仕立てのファッションの女性は、同じようにダイヤやブランドのジュエリーを着けています。このような人たちは決して多くはありませんが、間違いなくライフスタイルが変わってきていることを暗示しています。

日本のジュエリーが世界で戦うために課題はいくつかあります。一番重要なことは日本のモノづくりの既成概念(技術力があるから高いのは当然)を見直すことでしょう。海外の一流ブランドが日本の市場に合わせて、日本バージョンのジュエリーを展開したように、日本のジュエリーも世界の市場に合致したモノづくりができることです。このハードルをクリアするためには、ゼロベースのモノづくりが必要なのです。いま世界中のメーカーがインド、中国をはじめとした新興市場に攻勢をかけようとしています。

日本のジュエリーの魅力である「ジャパンブランド」の構築にありますから、この点がインド市場に理解されれば充分に競争力はでてくるでしょう。インド市場は日本人の手による感性の高いジュエリーを求めていることは間違いありません。世界の歴史は女性のライフステーズとライフスタイルの手にかかっていると云っても過言ではありません。

ジャパン・プレミアム・プロジェクトでは作り手と小売業のメンバーを募集しています。ご興味のある方は事務局までお問い合わせ下さい。

●Reported by ジャパン・プレミアム・プロジェクト

 

スリランカ宝石便り〜最終回〜

Filed under: ジュエリーコラム, スリランカからの宝石便り — ジェムランドeditor @ 13:57:04

20年以上続いたスリランカの内戦終結から1年が経過し、コロンボ市内でも観光客の姿を頻繁に見かけるようになりました。北海道くらいの大きさの島国に遺跡など多くの世界遺産があるスリランカに興味を持つ方も多いでしょう。今回は観光客がスリランカで宝石やジュエリーを買う時のポイントについてお話させてもらいます。

スリランカで代表的な宝石は「ブルー・サファイア」ですね。

スリランカ産のブルー・サファイアの青は明るいものが多いです。

せっかくスリランカに来たのだからスリランカで産出されたサファイアがほしいと思うかもしれませんが、最近はアフリカ産出のものも多く販売されています。

観光客が立ち寄るようなお店の売り子レベルでは、売っているサファイアがスリランカ産なのかマダガスカル産なのか、加熱処理されているのか無処理なのか、そんな違いは気にせず全て「スリランカで産出された天然(ナチュラル)なもの」と説明されます。

彼らは嘘を言っているわけではなく、そう信じている場合が多いので騙されたと思ってはいけません。「数億年前のアフリカとスリランカは同じ大陸でつながっていたのだから同じもの」と気にせず買うか、売り手の言葉を信じてスリランカ産と思うか。(もちろんスリランカ産である可能性もあります。)スリランカの宝石業者はサファイアの「産地」より値段と品質に関心があり、産地ごとに分けて管理することはないです。

美しいスリランカ産サファイアを「手頃な値段」で買えるというチャンスは観光客にはあまりないでしょう。売り手は観光客に良質な宝石を安く売ることはありません。安い場合は良質ではないか、合成石の可能性があります。では、それなりの値段を支払ったのだから、買った宝石が必ず良質であるか?宝石の値段は宝石のレベルにもよりますが、買い手のレベルでも決まってきます。あなたが「裕福な観光客」に見られた場合、目の前にサイズの大きなサファイアが並べられます。店によっては奥の金庫から物々しく出して、ひとつひとつ丁寧に時間をかけて見せてくれます。予算を聞かれますが、それには答えないで、色々なレベルのものを見たいと伝えれば良いでしょう。非加熱か加熱なのか、大きさ、色合いで値段は随分変わってきます。ここから値引き交渉の始まりです。もともと値切られるのを想定して高い値段を言っているので、思いっきり値切っても大丈夫です。相手の値段よりより3分の1か半分くらいから始めてみてください。こちらが値切らなくても、「あなたは友達だから」と最初に提示した値段より勝手に安くしてくれようとする売り手もいます。しかし、会って数分しかたたない人が本当の友達であるわけではないので、それでも値段が高いです。その場合はこちらも「友達」をアピールしてさらに値切って下さい。

値切っても本当に良質なもの、希少性の高いものは値段が思ったほど下がりません。

宝石は一期一会のように、そのひとつが出会いです。日本には入ってこないような色合いのサファイア(一般的には品質が悪いとされる)も売られていますので、色が気に入ればそれを購入されても良いでしょう。お店は薄暗く強いライトを使う場合も多いので、できれば窓際の自然光下の色も確認してください。

スリランカは宝石の産地だからどんな宝石でもあると思われるかもしれませんが、オパール、エメラルドは産出されません。お店には置かれていますが品質はあまり良くないのでお薦めできません。サファイアより安く買える宝石なら、ガーネットやスピネル、クリソベリルなどが良いでしょう。同じ名前の宝石でも色が違いますので、様々な色を並べて比べてみて下さい。

さて、購入した宝石が合成石でないか?ニセモノではないか?それをスリランカで調べるにはどうしたら良いでしょう?

スリランカの宝石関係を取りまとめているのが政府機関の[National Gems and Jwellery Authority]です。ここでは、外国人であれば鑑別を無料でしてもらえます。鑑別書の発行には料金がかかりますが、コロンボで購入した場合はお店の人にここの鑑別書をつけてもらうと良いでしょう。(ただし高価なものに限られると思います。)自分で宝石を持ち込むことも可能です。(25 Gall Face Terrace,コロンボ3/ゴールフェイスホテルの近くです。)お店の人が発行するのは、保証書であり鑑別書ではありません。

サファイアの加熱か非加熱については、FT-IR(フーリエ赤外分光分析)鑑別機器を持っている鑑別会社「Colombo Gemmological Institute(コロンボ4)」での鑑別が可能です。「非加熱サファイア」を購入される場合は、このFT-IRのデータのついた鑑別書をお店の人を通して取得してもらっても良いと思います。(ただ旅行などの限られた日数では難しいかもしれません。)

この回で「スリランカ宝石便り」を終了させて頂きます。定期的に投稿できなくてすみませんでした。この記事でスリランカの宝石に関心を持って頂ければ幸いです。福本修先生とは、私が英国宝石学協会のFGAの勉強をしている時にメールで何度も質問をさせて頂いたのが出会いです。こちらのWEBから私のブログ(スリランカ宝石留学物語)に来て下さる方もいて嬉しい限りです。本当にありがとうございます。

皆様がスリランカで素敵な宝石との出会いがありますことをお祈りしています。

スリランカ宝石留学物語 http://plaza.rakuten.co.jp/gemgasuki/
片山新子、FGA

2010/6/22 火曜日

27ctsのダイアモンド3億円で落札

Filed under: ダイヤモンド, ジュエリーオークション ニュース — ジェムランドeditor @ 16:48:42

6月15日、ニューヨークのロックフェラープラザで開催されたクリスティーズのジュエリーオークションに出品された27.03キャラットの無色のダイアモンドを留めたプラチナ リングが約3億2千万(USD:3,554,500)で落札された。1キャラット当たりの価格に直すと約1,200万円。

グレーディング・レポートを発行したGIAによるこのダイアモンドのスペックは次の通り。

・カット:クッション カット
・クラリティ:VVS1
・石目:27.03cts
・カラー:Dカラー
・タイプ:IIa※

※タイプIIa
検出できる量の窒素を含有しないダイアモンド。炭素からだけで構成される元素鉱物(1種類の元素から構成される鉱物)であるダイアモンドだが、自然環境で成長するダイアモンドには、実際には様々な不純物が取り込まれる事が一般的。不純物の中でも窒素は最も一般的なもの。

メレバンク・カフェ(18)日本の市場は低迷、しかしダイヤモンド価格は上昇へ

Filed under: ジュエリーコラム, メレバンク・カフェ — ジェムランドeditor @ 15:47:39

日本の市場は低迷、しかしダイヤモンド価格は上昇へ

日本の宝飾業界は依然として低迷が続き、明るい兆しが見えない状況ですが、ワールドマーケットのダイヤモンド価格は確実に上がっています。

2008年9月のリーマンショックでダイヤモンドは大幅に価格を下げ、2008年末には大粒のダイヤモンドは殆ど動かない状況となりましたが、中国、インドが経済的に復活するのと歩調を合わせるように2009年夏頃からダイヤ価格は底値を脱し始めました。ダイヤモンド採掘業者の採掘停止や、デビアスがサイトの原石供給量を減らしたことも効果をあげました。

2009年の秋から少しずつ値を上げ始めた1ctアップのダイヤモンドは2010年に入ると急激に値上がりし、毎月高くなっています。0.5ctから3ctまでの価格はほぼリーマン以前のレベルに戻しました。4ctアップのダイヤは若干リーマン以前よりは安いようですが、メレーは完全にリーマン以前の価格を上回りました。

メレー(1/6ct以下のダイヤを言います。「メレー」という言葉についての詳しい考察はメレバンク・カフェ(2)をご覧ください)価格の上昇はインド国内の経済問題と深く関わっています。インドのダイヤモンド産業を支えてきたのは50万人とも60万人ともいわれる研磨工でした。景気が悪くなると研磨工はレイオフされ、農業など他の産業の労働者となり、景気が回復すると再びダイヤ研磨工として戻ってくる、というパターンが長く続き、ダイヤモンド産業成長の安全弁の役割を果たしていました。リーマンショック後、米国への輸出は数カ月ストップ、逆に既輸出分のダイヤが返品される事態となり、多くの工場は一時的に閉鎖され、2008年の末には半数以上の研磨工が職を失いました。米国から返された商品の再販売が進んだ2009年春から工場は再開を目指しましたが、予想に反して研磨工は戻って来ませんでした。インド国内の経済発展の勢いは強く、賃金も上昇して研磨工にとってダイヤ産業に戻るメリットがなくなったということでしょう。研磨工賃は2割以上上がったと言われていますが、それでも戻ってきた研磨工の数は多くはありませんでした。レイオフされた研磨工は主として-2、ブラウン、ナッツ等の安価なアイテムを研磨していましたから低価格帯のアイテムは品不足となりました。しかし、安い材料は値段が上がると別のアイテムにとって代わられるという宿命を持っていますし、原石の値上がりは研磨石よりも大きいので、研磨量はリーマン以前のレベルには及ばない状況です。メレーの価格はこれから先も少しずつ上がってゆく可能性が高そうです。

佐野 良彦

p_point.gif メレ ダイアモンドはこちらで購入出来ます(サノ・トレーディング取扱い)

2010/6/8 火曜日

ジュエリーの歴史6000年 [第4回]エーゲ文明とジュエリー

Understanding Jewellery
ジュエリーの歴史6000年 [第4回]

エーゲ文明とジュエリー

現在エーゲ文明はクレタ文明(ミノス文明とも)、ミケーネ文明(ミュケナイ文明とも)、トロヤ文明の3つの文明の総称として用いられ、その起源は大体BC2000年頃と考えられているが、クレタ文明の前にエーゲ海のキクラデス諸島を中心にした文明がBC3000年頃に栄えたという説もある。その頃の様子はクレタ島の北に位置するサントリーニ島の壁画などからも伺えるが、これが事実とすれば、エーゲ文明はオリエントやエジプトと同じくらい古い文明で、世界各地でBC3000年くらいに、同時に複数の文明が爆発したという見方も出来よう。時代区分で云うと青銅器時代にあたる。

エーゲ文明の発祥地クレタ島のクノッソス宮殿の発見は、イギリスの考古学者アーサー・エバンスだが、それは1900年の事だった。その宮殿は1000室以上の小部屋を持ち、城壁はなく開放的な宮殿であった。自由で豊かな文化的正確を持った文明でもあった。クノソッス宮殿はしばしばギリシア神話に登場するミノス王にちなんでミノア文明とも呼ばれる。ミノア王はゼウスとエウロペの子である。エウロペはeuropeでヨーロッパの語源でもある。

ギリシア神話では有名なミノタウロス伝説がある。ミノア王が後で返すからという約束で海の神ポセイドンから美しい白い雄牛(一説では黄金の雄牛)を手に入れる。雄牛の美しさに夢中になった王はポセイドンとの約束を違えて、自分のものにしてしまうが、これに怒ったポセイドンはミノア王の妻パーシパエーに呪いをかけ、白い雄牛との間にミノタウロスを産ませる。ミノタウロスは成長するに従い乱暴になるが、ミノス王は部下のダイダロスに命じて迷宮(ラビュリントス)を建て、そこにミノタウロスを閉じ込めてしまう。そして9年毎に少年7人と少女7人をミノタウロスに生け贄として与えていたが、これに憤りを感じていたミノス王の娘アリアドネはアテネのテセウスと計り、見事ミノタウロスを打ち破るというもの。迷宮は一度入ったら出て来れないという複雑な構造を持っていたので、アリアドネは赤い糸玉をテセウスに渡し無事に迷宮を脱出する事ができた。

クレタ島の人々は民族的には地中海人種と小アジアの混血という説もあるがどうもはっきりしない。彼らは絵文字や線文字A(BC18世紀-BC15世紀頃までクレタ島で用いられたが現在未解読)と呼ばれる文字を使用し、高度な文明を築いていたことがわかっている。エーゲ海は大小様々な島で構成され、このため海上貿易が盛んであった。クノッソス宮殿などの遺跡から壮大な宮殿を営む為政者が会場貿易によって莫大な富を得ていた事は想像に難くない。
そのクレタ文明は、BC1400年頃まで栄えるが、数度に渡る火山の噴火や地震などやインド・ヨーロッパ語族の侵入などがクレタ文明に影響を与え、衰退を招いたといわれている。

また同じ頃に最初のギリシア人と云われるアカイア人がギリシア半島のミケーネ、ティリンスに南下してミケーネ文明を築く。やがてミケーネがクレタ島を征服してクレタ文明は終焉を迎える。代わってミケーネがエーゲ海を中心とした文明を築き、線文字Bを使い(現在ほとんどが解読されている)紀元前1200年頃まで栄えるのである。黒海の西側、ドナウ川とエーゲ海に挟まれた地域はバルカン半島と云われるが、この地域一帯は古くから金の産出地として知られていた。黒海の麓にあるヴァルナ遺跡(現在のブルガリア北東部、ヴァルナ市南西郊、ヴァルナ湖北岸にある金石併用時代後期(BC4500〜BC4000年)の墓地遺跡は1972年秋に偶然に発見され、81年末までに204基の墓が発掘された。大量に黄金製品(総重量6キロ)と銅器が発見されたことで知られ、メソポタミアやエジプトとほぼ同時か、あるいはむしろ古い時期に、バルカン半島にかなり高度の文化が発達していたことを示す証拠として注目されているが、ミケーネ文明もこれらの金を活用し、高度な文明を築いた。ギリシア人(アカイア人)はドナウ川流域からバルカン半島を越え、ギリシアに移動して来た事からも、金に対する知識と加工は十分に備わっていたのではないだろうか。

このミケーネと覇を競ったのが小アジアにあったトロイであるが、ミケーネはトロイを発掘したドイツの考古学者ハインリッヒ・シュリーマンによって1876年に発掘されて明らかになった。ミケーネ城内の墓から発掘された黄金のマスク(ミケーネの王アガメムノン)は金でできた葬儀用のマスクで、埋葬穴(円形墳墓群A5号墓)にあった死体の顔の上で発見された。シュリーマンはこれがアガメムノンの墓であると信じ、それ以来アガメムノンのマスクと云われているが、現在の考古学によればどうもBC1550?BC1500年のものであるらしい。このマスクは現在アテネの国立考古学博物館に展示されているが、ミケーネの竪穴墓で発見された5つのマスクのうちのひとつである。

シュリーマンはまたBC8世紀の吟遊詩人ホメロスが書いた叙事詩「イーリアス」に触発されて、トロイ戦争をトロイ郊外のヒッサリクの丘と特定し、1873年にいわゆる「プリアモスの財宝」(トロイの黄金とも云われるが、シュリーマンの妻の故郷であるギリシアに運ばれる。その後ベルリンに移動したが第2次世界大戦でロシア軍がベルリンに侵入した際に何故か忽然と消えてしまった。しかし最近、プーシキン博物館の地下倉庫に保管されている事が判明したが未だにベルリンに返還されていない)を発見し、伝説のトロイを発見したと喧伝した。

この発見により古代ギリシアの先史時代の研究は大いに進むこととなるのだが、同時に混乱を招く事になる。プリアモスとはトロイ戦争の切っ掛けになった、パリスの審判で有名なトロイ王パリスの父で同じトロイ王である。トロイ戦争はBC1150年頃と考えられているが、プリアモスの黄金が発掘されたヒッサリクの丘の地層はBC2500年頃のものであり、実際には1500年ほど古いものである事が判ってきた。

sophie.gifトロイ戦争の発端になった逸話はこうだ。エギナ島の王ペレウスが海の女神てティスとの結婚式に、エリスを招待しなかった。これに怒ったエリスは「もっとも美しいものに贈る」と書いた金の林檎を宴席に投げ込む。この結婚式にはギリシアの神々や英雄たちが列席していたが、ヘラ、アテナ、アフロディテの3人が「私が一番美しい」と言い出して収拾がつかなくなった。そこで天の支配者であるゼウスは、トロイ王のパリスに判定してもらえと言う。3人はパリスの前で、それぞれ自分を選んでくれたら約束を守るという条件を出します。ゼウスの妻で結婚の女神ヘラは「世界の支配権」を、戦いの女神アテナは「戦での勝利」を、美と愛の女神アフロディテは「美しい妻」を約束するのですが、パリスが心を動かされ金の林檎を与えたのは、美の女神アフロディテであった。何時の時代でも男は美女に弱いのだ。そしてパリスに与えられる世界一の美女は、スパルタ王メネラオスの妃ヘレネであったことから物語はややこしくなる。パリスがスパルタの王宮を訪ね、王がクレタ島出張の留守を見計らい、トロイに連れ帰ってしまった。全てアフロディテの企てである。これに怒ったのがスパルタ王メネラオスで、全ギリシアの英雄を集めトロイへの復讐の軍を起こす。これが延々と10年続くのである。ギリシア軍の総大将は、メネラオスの兄アガメムノン、ペレウスの息子アキレウス、 知恵者のオディッセウスなどそうそうたるメンバー。一方のトロイ軍はプリアモス王の長男ヘクトル・アイネイアス、美と愛の女神アフロディテ、太陽神アポロンが付いていた。しかし戦争の不条理な殺戮、略奪行為に対してオリンポスの神々は許すことはなかった。そのためトロイ、ギリシアの両軍に悲劇が次々と起きる。このたくさんの悲劇をギリシア神話は延々と語り継いでいるのだが、これを著したのがホメロスの「イーリアス」「オデュッセイア」であり、トロイ戦争は史実が神話化された物語であったことを証明したのがシュリーマンである。

mask.jpgトロイ戦争はミケーネが勝利するが、ミケーネはギリシアの別の民族であるドーリア人によって滅ぼされる。また一説には海の民のよって滅亡されたとも云われるが、この海の民がどのような民族であったのか実はよく判っていない。ミケーネの滅亡後ギリシア半島ではBC900年頃まで文字による記録が残っておらず、暗黒の時代などと呼ばれている。

エーゲ文明が発達したのは、豊富な金の産出によるものではないか。というのはギリシアの東タソス島やテッサロニキ周辺、ドナウ川の南トラキア地方(現ブルガリア)、バルカン山脈、ロドビ山脈周辺は古代から金を産出した。またトロイの南からも金が産出している。ギリシア半島はこうした金に恵まれて、小アジアや黒海周辺に多くの植民都市を形成して栄えた。

シュリーマンが発掘したプリアモス財宝の一部を着用した妻のソフィア・シュリーマン(写真、右上段)。これだけ見てもトロイの財宝がいかに凄いかが想像できよう。

granuration.gif写真左:アガメムノンの仮面。ギリシア神話でもっとも有名な一人で、ミケーネの王としてトロヤ戦争の総指揮官であった。ただ彼が実在の人物であったか神話の人物かははっきりしない。発見したのはシュリーマンで、埋葬穴(円形墓群A5号)にあった死体の顔の上にあった。シュリーマンはこれをアガメムノンの墓であると信じ、それ以来アガメムノンの仮面として一般的である。しかしながら考古学上では、この仮面はBC1550?BC1500年頃のものとされ、アガメムノンの時代よりも早いとされている。またこの仮面はミケーネの竪穴墓の中で発見された5つの仮面のうちのひとつであり、アガメムノンの仮面の信憑性が疑問視されている。アテネ国立考古学博物館所蔵。

写真右下:2匹の蜂(スズメバチまたはミツバチ)。クレタ島クリソラッコスの墓地で出土、粒金の作例(中央の丸い部分)としてはもっとも古い。BC1800?BC1600年頃。ヘラクリオン美術館所蔵。ペンダント。ギリシア人はエーゲ文明の頃から金銀細工師として活躍やがてBC800年頃の古代ギリシアの時代、金工技術はアナトリア半島(小アジア)やメソポタミア、スキタイやトラキアなどの植民都市へ伝わっていく。

増渕邦治(ますぶち くにはる)

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2010/6/1 火曜日

ティファニー好調な滑り出し

Filed under: ジュエリーニュース — ジェムランドeditor @ 21:07:35

4月30日、ティファニーは第一四半期の決算を発表した。世界全体での売上げは22%増の6億3360万米ドル。

アジア・太平洋地区での売上げは5割増の1億2230万米ドルだったが、日本での売上げは2%減少して1億1500万米ドルだった。

ティファニーは上海で3店目となる小売店をオープンし、今年度末までには中国国内で11店舗を運営するとしている。

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